1398年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 13世紀 - 14世紀 - 15世紀 |
十年紀: | 1370年代 1380年代 1390年代 1400年代 1410年代 |
年: | 1395年 1396年 1397年 1398年 1399年 1400年 1401年 |
1398年(1398 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
カレンダー
できごと
- 6月25日 – 建文帝が祖父、洪武帝から明代中国の皇位を継承する[要出典]。
- 9月 – フランスが対立教皇ベネディクト13世の支援を撤回すると、ゲオフレユ・ボウキカウト(英語版)が率いる軍隊がアヴィニヨンを占拠し、5年に及ぶ教皇庁の包囲を開始する。
- ゲイトニック騎士団がリトアニアの襲撃を再開する。
- 朝鮮の太祖王(李成桂)が、息子たちの闘争に嫌悪感を覚え位を放棄する。
- フェラポントフ修道院が、現代のロシア北西に建設される。
誕生
「Category:1398年生」も参照
- 2月25日(洪武31年2月9日) - 宣徳帝[要出典]、明の第5代皇帝(+ 1435年)
- 8月31日 - ジャン・ド・ヴァロワ、トゥーレーヌ公、ベリー公(+ 1417年)
- 足利持氏、室町時代の武将、第4代鎌倉公方(+ 1439年)
- 伊勢貞国、室町時代の幕府政所執事(+ 1454年)
- 于謙、明の政治家(+ 1457年)
- 音阿弥、室町時代の猿楽能役者(+ 1467年)
- 尚金福王、琉球王国の第一尚氏王統の第5代国王(+ 1453年)
- 畠山持国、室町時代の守護大名(+ 1455年)
- 馬加康胤、室町時代の武将、千葉氏の第19代当主(+ 1456年)
死去
「Category:1398年没」も参照
- 1月6日 - ループレヒト2世、プファルツ選帝侯(* 1325年)
- 1月8日(応永4年12月20日) - 九条忠基、南北朝時代、室町時代の公卿(* 1345年)
- 1月21日 - フリードリヒ5世、ニュルンベルク城伯(* 1333年?)
- 1月31日(応永5年1月13日) - 崇光天皇、南北朝時代の北朝第3代天皇(* 1334年)
- 6月2日(応永5年5月14日) - 直仁親王、南北朝時代の皇族(* 1335年)
- 6月24日(洪武31年閏5月10日) - 洪武帝、明の初代皇帝(* 1328年)
- 10月5日 - ブランシュ・デヴルー、フランス王フィリップ6世の2番目の王妃(* 1331年)
- 12月12日(応永5年11月4日) - 足利氏満、室町時代の第2代鎌倉公方(* 1359年)
- 鄭道伝、高麗、李氏朝鮮の政治家、学者(* 1342年)
- カドゥ・ブルハネッディン、エレトナ侯国(英語版)君主、詩人(* 1345年)
- 朴葳、高麗、李氏朝鮮の軍人(* 生年未詳)
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、1398年に関連するカテゴリがあります。