言語島(げんごとう)または言語の島(げんごのしま)とは、長い間周辺部との交流が隔絶されたり、別言語を話す集団が大量移住してきたりしたために、周囲とは異なる特徴を持つ言語が分布している状態のことである。
「孤立した言語」は、系統的に近い言語が(遠方も含めて)存在しないことを指し、言語島とは別の概念である。
日本における言語島の例
- 周囲からの隔絶によるもの - 山岳による例が多い。
- 大量移住によるもの
- 北海道新十津川町 - 本町は奈良県十津川村からの集団移住者が多いため、文法やアクセントが周辺部とは異なる。十津川の方言は上述の奥吉野方言に属するため、「言語島の住民が移住して新たな言語島を形成した」という珍しい事例である。
- 下北弁(青森県下北半島) - 戊辰戦争後、会津藩の斗南藩移封に伴い、約1万5千人以上の会津藩士が集団移住した影響で、東北地方最北端の地でありながら、南奥羽方言的な特徴が見られる。
- 気仙沼方言(宮城県気仙沼市) - 大阪商人が開いた港町であるので大阪弁の混入があり、周辺の東北弁とは異質な単語が見られる。ただしアクセントは影響を受けていない。
- 東京方言(江戸言葉・山の手言葉)・首都圏方言 - 江戸幕府開府から今日に至るまで、日本全国から武士・商人・労働者など様々な階層の人間が流入して発展した都市であるため、主に文法面で、周辺の西関東方言とは異なるものが多い。アクセントも周辺部と多少違う。
- 千葉弁 - 房総半島南部や銚子市周辺などの沿岸部では、江戸時代に海運を通じて紀伊半島からの移住者が多くいたことから、関東地方でありながら西日本方言である紀州弁の要素が見られた。
- 千葉県君津市 - 君津製鉄所の開設に伴い、八幡製鐵の従業員とその家族約2万人が福岡県北九州市から一度に移住したため、同地の方言や文化が移入され、児童の間で君津と北九州の方言をミックスした言葉も生まれたという。2018年時点で、九州文化の面影はどうにか見つけられる程度になっていた。[2]
- 家中弁 - 近世の藩主とその家中の転封によって、各地の城下町では庶民と異なる言語の島が形成されていた。山形市の香澄町弁、佐賀県唐津市の「城内言葉」、三重県桑名市や宮崎県延岡市の家中弁、などがある[3]。
- 海士方言(石川県輪島市海士町)[1] - 九州北部の漁民が移住して開いた町で、周囲の輪島市方言とは異なる点が多い。
- 大東諸島方言(沖縄県南大東島・北大東島) - 琉球王国時代には無人島であり、明治期に八丈島出身の開拓団によって開発が進められたため[4]、沖縄県内の方言としては唯一琉球諸語の影響を受けず、八丈方言(八丈語)に由来する大東諸島方言が形成された。現在では琉球諸語やウチナーヤマトグチの要素も見られる。
日本国外における言語島の例
- 大量移住もしくは周囲の同化によるもの
- 周囲からの隔絶によるもの
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b c d e f g h 新田 (2008)
- ^ 辰井祐紀 (2018年2月13日). “50年前に2万人の移住で九州文化が大流入! 千葉県君津市はまだ少し九州だった”. デイリーポータルZ. 2021年1月4日閲覧。
- ^ 彦坂 (2013)
- ^ 進(2017), 218-226頁
参考文献
- 大野晋・柴田武編 編『岩波講座日本語11 方言』岩波書店、1977年。
- 彦坂佳宣「越境者たちの方言誌―その日本語史への寄与」『論究日本文学』第98巻、2013年、21-39頁。
- 新田哲夫「言語島について」『金沢大学日中無形文化遺産プロジェクト報告書』第2巻、2008年、54-60頁。
典拠管理データベース: 国立図書館 | |
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