西出朝風
西出朝風(1918年3月7日撮影) | |
誕生 | 1885年10月6日 日本 石川県江沼郡大聖寺町 (現在の加賀市) |
死没 | (1943-03-14) 1943年3月14日(57歳没) |
職業 | 口語歌人 |
国籍 | 日本 |
ジャンル | 口語短歌 |
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西出 朝風(にしで ちょうふう、1885年〈明治18年〉10月6日 - 1943年〈昭和18年〉3月14日)は、口語歌人。本名:西出一(つかさ)。
経歴
大聖寺耳聞山(現・石川県加賀市)出身。父の孫一は橋立(現加賀市)で代々北前船業を営む西出家の9代西出孫左衛門の長男であったが、家督相続を許されず、大聖寺に分家した[1]。
朝風は石川県立金沢第一中学校(現在の石川県立金沢泉丘高等学校)から慶應義塾(普通部)に進学し、後に中退した[2]。
明治30年代から口語歌を発表。1910年(明治43年)には同じ詩人の西出うつ木と結婚し、1914年(大正3年)「新短歌と新俳句」を創刊。1915年(大正4年)、金沢の北国新聞社に入社し、紙上で、若い歌人に口語短歌への影響を与えた[1][2]。1922年(大正11年)、「純正詩社雑誌」を創刊。竹久夢二と交流があり、その影響を受けて感傷的な傾向を見せた[3]。