紀元前5世紀(きげんぜんごせいき)は、西暦による紀元前500年から紀元前401年までの100年間を指す世紀。
できごと
紀元前500年代
紀元前490年代
紀元前480年代
- 紀元前487年 - アテナイのアルコン(最高官職)の選出方法が抽選となる。
- 紀元前486年 - アケメネス朝のダレイオス1世が死去し、クセルクセス1世が即位。
- ペルセポリスの拡張工事を行い、万国の門(英語版)(クセルクセス門)などを併設。
- 紀元前482年 - 呉王夫差による黄地の会盟。この最中に越が呉を攻撃する。
- 紀元前483年 - アテナイでアッティカ地方のラウリオン銀山の銀の使用方法が討議される。
- この銀を用いてアテナイのテミストクレスは三段櫂船(トライリーム)100隻の建造を決議させる。
- 紀元前481年
- シチリア島のエトナ山が噴火( - 紀元前460年)。
- 斉の田恒(田成子)がその君簡公壬を殺す。斉の実権が事実上田氏に移る。
- この年で魯の年代記『春秋』の筆がおかれる(魯の哀公14年・獲麟)。
- 紀元前480年
紀元前470年代
- 紀元前479年
- 紀元前478年 - アテナイを盟主とするデロス同盟が結成される( - 紀元前404年)。
- この時期のアテナイを「アテナイ海上帝国」とも呼ぶ。一方でスパルタはギリシアでの指導権を放棄し内向化。
- 紀元前474年 - クマイの戦いで、シュラクサイの僭主ヒエロン1世がエトルリアに勝利し、ティレニア海の制海権を握る。
- 紀元前473年 - 越王勾践が都の姑蘇を陥落させ、呉王夫差を自殺に追い込み、呉を滅ぼす。
- 紀元前472年 - 徐州会盟(中国語版)により越王勾践が覇者となる。
- 紀元前471年 - アテナイとピレウスを結ぶ「テミストクレスの壁(英語版)(マクラ・テイケー)」が建設される。
- 紀元前470年頃
- テミストクレスが陶片追放によりアテナイからアルゴスに亡命。
- 「デルポイの御者(英語版)」が作られる(デルポイ博物館蔵)。
- イタリア南部パエストゥムの「ダイバーの墓」が作られ「饗宴」の壁画が描かれる。
- イタリア中部タルクィニアの「豹の墓(英語版)」が作られ「饗宴」の壁画が描かれる。
紀元前460年代
- 紀元前468年 - 越王勾践が都を瑯琊に遷す。
- 紀元前466年
- 鳥海山が噴火し、大規模な山体崩壊を引き起こす。
- エウリュメドン川の戦いでギリシア軍がペルシア軍に勝利。
- 紀元前465年 - ペルシア王クセルクセス1世が側近アルタバノス(英語版)に暗殺される。
- 紀元前464年 - スパルタ地震によりメッセニア人がスパルタ人に蜂起、第三次メッセニア戦争が起こる。
- 紀元前462年 - ペリクレスがエフィアルテスとともにアレオパゴス会議から実権を奪う。
- アテナイの政治の中心は民会(エクレシア)と評議会(ブーレ)に移行する。
- 紀元前461年 - 第一次ペロポネソス戦争が起こる( - 紀元前445年)。
- 紀元前460年頃 - アルテミシオンの青銅神像(英語版)(アテネ国立考古学博物館蔵)が作られる。
紀元前450年代
- 紀元前456年 - イキリウス法(イタリア語版)の制定によりアウェンティヌス丘が平民居住区に開放される。
- 紀元前454年 - デロス同盟の金庫がデロス島からアテナイに移される。
- 紀元前453年 - 晋陽の戦いで智瑶が敗北、晋が趙・韓・魏に分裂。
- 紀元前451年
- 共和政ローマで執政官に代わり十人委員会が組織される。
- 十人委員会により共和政ローマの最古の法である十二表法が制定される。
- この年に十条が制定され、翌年に二条が追加される。
- アテナイで両親ともにアテネ出身者にのみ市民を限定する市民権法を制定。
- 紀元前450年頃
紀元前440年代
- 紀元前449年 - カリアスの和約。
- 紀元前447年 - アテナイのパルテノン神殿着工。
- 紀元前445年
- 紀元前444年 - ペリクレスがアテナイのストラテゴス(将軍)に選出され、以後これが15年近く続く(ペリクレス時代 - 紀元前430年)。
- 紀元前440年頃 - 「エレウシスの浮彫」(アテネ国立考古学博物館蔵)が作られる。
紀元前430年代
紀元前420年代
- 紀元前429年 - アテナイで疫病の流行(英語版)。
- アテナイで籠城中のペリクレスが死去。クレオンがアテナイの指導者となる。
- 紀元前428年 - ミュティレネの反乱。
- 紀元前422年 - アンフィポリスの戦いでアテナイが敗北し総司令官クレオンが戦死する。
- 紀元前421年 - ニキアスの和約。
紀元前410年代
- 紀元前416年 - アテナイ軍によるメロス島攻略(メロス包囲戦)。
- 紀元前415年 - アテナイがシチリア遠征軍を派遣する。
- 紀元前414年 - 白狄による中山国が成立する。
- 紀元前413年 - シチリアのシュラクサイの戦いでアテナイ軍が敗北し、アテナイ軍のニキアスやデモステネスが処刑される。
- 紀元前411年
紀元前400年代
- 紀元前408年
- 紀元前405年 - アイゴスポタモイの戦いでペロポネソス同盟がアテナイに勝利。
- 紀元前404年 - アテナイがペロポネソス同盟に降伏し、第二次ペロポネソス戦争終結。
- スパルタの主導でアテナイに三十人僭主政権が建てられる。
- フリュギアに亡命中のアルキビアデスが太守ファルナバゾスに暗殺される。
- 紀元前403年 - 趙・韓・魏が周王より諸侯として認定される。
- 紀元前403年 - トラシュブロス率いる民主派がアテナイの三十人僭主政権を打倒する。
- 紀元前401年 - クナクサの戦いでペルシア王アルタクセルクセス1世が反乱を起こした弟の小キュロスを倒す。
- 小キュロス配下のギリシア人傭兵軍団はクセノポンらの指揮のもとペルシアからの脱出を敢行。『アナバシス』に記録が残る。
- 紀元前400年前後
- 「トーディのマルス(英語版)像(ヴァティカン・グレゴリアーノ・エトルリア美術館蔵)」が作られる。
- 中国人が磁鉄鉱に指極性がある事を発見し、磁気コンパスを発明した。磁気コンパスは、占いに使用された。
人物
中国(周・春秋時代)
- 老子(生没年不詳) - 春秋時代の周出身の思想家(道家)・孔子とほぼ同時期か先行するか・架空人物説もあり
- 左丘明(生没年不詳) - 春秋時代の魯の著述家・孔子に前後して活躍か・『春秋左氏伝(左伝)』『国語』の著者か
- 孔子(前551年 - 前479年) - 春秋時代の魯の思想家(儒家)・諸国遍歴後に教育に携わる・言行録に『論語』がある
- 孔門十哲
- 霊公(前540年 - 前493年) - 春秋時代の衛の君主(在位前534年 - 前493年)・弥子瑕や南子の寵愛で有名・『論語』にその名が残る
- 闔閭(? - 前496年) - 春秋時代の呉の王(在位前514年 - 前496年)・越王勾践に敗れ夫差に復讐を誓わせる
- 夫差(? - 前473年) - 春秋時代の呉の王(在位前495年 - 前473年)・春秋五覇の一人・父王の仇である越王勾践を捕虜とする
- 勾践(? - 前465年) - 春秋時代の越の王(在位前496年 - 前465年)・春秋五覇の一人・范蠡の補佐を得て呉を滅ぼす
- 伍子胥(? - 前485年) - 春秋時代の呉の政治家・軍人・闔閭と夫差に仕え越王勾践を捕虜とする・後に夫差に自殺を命じられる
- 孫武(前535年 - ?) - 春秋時代の呉の思想家(兵家)・兵法書『孫子』の著者・伍子胥とともに楚を攻撃
- 范蠡(生没年不詳) - 春秋時代の越の政治家・軍人・越王勾践に仕え伍子胥とは知略で争う・呉の滅亡後は越から亡命する
- 西施(生没年不詳) - 春秋時代の美女・越王勾践により呉王夫差を篭絡するために送り込まれる・中国四大美人の一人
- 申包胥(生没年不詳) - 春秋時代の楚の政治家・伍子胥とは旧友であったが後に離反・柏挙の戦いで呉に敗北した楚を立て直す
- 田恒(田成子)(生没年不詳) - 春秋時代の斉の政治家・闞止と簡公を殺害し平公を擁立・事実上の斉での田氏支配が始まる
- 公輸盤(前507年 - 前444年) - 春秋時代の魯の工匠・『墨子』『淮南子』では攻城具や兵器を開発し名匠として崇められる
- 曾子(前506年 - ?) - 春秋時代の儒者・『孝経』の著者・弟子に子思や呉起(後に破門)がいる
- 子思(前483年? - 前402年?) - 春秋時代の儒者・孔子の孫で曾子の弟子・『中庸』の著者か
- 趙無恤(? - 前425年) - 春秋時代の晋の政治家・六卿の中で政敵だった智瑶を倒し魏や韓とともに晋から独立
- 文侯(? - 前396年) - 春秋戦国時代の魏の君主(在位前445年 - 前396年)・正式に晋から独立し諸侯に封じられる
- 西門豹(生没年不詳) - 春秋戦国時代の魏の政治家・子夏の弟子・文侯に仕え迷信を排し治水土木を行った故事で有名
- 李克(李悝)(? - 前395年) - 春秋戦国時代の魏の政治家・子夏の弟子・文侯に仕え成文法を定め富国強兵を進める
- 墨子(前450年 - 前390年頃?) - 戦国時代の思想家(墨家)・『墨子』の著者・「兼愛」「交利」「尚賢」「非攻」の思想で有名
地中海世界
ギリシア
共和政ローマ
西アジア世界
南アジア
架空のできごと
- 紀元前5世紀 - 2000年10月にパキスタンのバローチスターン州カーランで発見されたアケメネス朝時代のミイラは、古代エジプト式のミイラで胸には金のプレートがあり、そこに刻まれた銘文によると、この女性はアケメネス朝の王クセルクセス1世の娘ロードゥグーネ(Rhodugune)と記されていたため「ペルシャ・プリンセス」の別名がつけられた。早速2000年11月にはカラチのパキスタン国立博物館(英語版)でこのミイラの展示が始まった(後の調査によりこのミイラは現代の偽物であるばかりか、1990年代に何らかの殺人事件に巻き込まれた被害者の遺体であることも発覚した)。
- 紀元前5世紀 - 函谷関の関所の役人(関令)尹喜に『道徳経』を授けた後、隠棲するため牛に乗って西方へと姿を消した老子は、実は西方の胡地に赴いて胡人を教化するためにその地で仏教を興していたのである。従ってインドの仏陀(浮屠)とは老子の変化した姿に他ならない(西晋の道士王浮の偽経『老子化胡経』)。
出典
参考文献
- ジャック・チャロナー(編集)、2011、『人類の歴史を変えた発明 1001』、ゆまに書房 ISBN 978-4-8433-3467-6
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、紀元前5世紀に関するカテゴリがあります。
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