17世紀には、ルネ・デカルトが『省察』(羅: Meditationes de prima philosophia、英: Meditations on First Philosophy) において、神や無限等の概念は経験により得られるものではなく、生得的産物であると説いたほか[15]、17-18世紀に活躍したドイツの哲学者ゴットフリート・ライプニッツも生得説の立場を支持しており、(特に数学や論理学等において) 「必ず真」となる事象に関する人間の知識は、経験により説明できるものではないと述べている[13]:586。これは、知識とは人によりその質、量、程度ともに異なるものであり、どの人物の知識であるかに依拠せず共有された普遍的な知識、または認識にずれが生じえない解が1つのみの知識は、個人間で大きな差異が出る「知識」の本質的在り方に明らかに整合しないためである[13]:586。
ヒト (特に幼児) が母語獲得を終了した際の言語能力は、「生活環境の中で受けた言語刺激を自身の知識として取り込んだもの」というだけでは説明できないほどに豊潤であり、例として、幼児が耳にする大人の会話には、言いよどみ、言い間違い、不完全文などが多く含まれている[1]:360。ある言語の文法規則をこのような言語刺激のみから網羅するのは不可能であると考えられ、言語刺激が質的にも量的にも不足していることを、チョムスキー[18]:34の用語で刺激の貧困 (英: poverty of the stimulus) という[1]:360[19]:52。より専門的な観点では、「幼児が日常生活の中でさらされる」という意で「音声的」な言語刺激からは、統語構造を演繹するのも困難である。例として、英語を母語として獲得中の幼児がYes-No疑問文(英語版)を見聞きしても、ことばが階層構造を成している事実を学ぶのは不可能であると考えられるほか、主語・助動詞倒置のような規則に至っても、音として明示的な表面語順以上の情報を得ることはできず、実際の統語構造までを知る手段はない[19][20][21]。
臨界期仮説 (英: critical period hypothesis) とは、言語の獲得には最適期間が存在し、この期間を過ぎるとネイティブのような言語能力を身に付けることは不可能になるとする、エリック・レネバーグ(英語版)の提唱した仮説である[29]。レネバーグによると、こどもが2歳までに母語獲得を終えることはないが、ネイティブレベルの言語能力を身に付けるためには、思春期の始まりまでには言語刺激を受けていなければならない[29]。これは言語が生得的であることを強く示唆すると同時に、学習による手法のみでは文法能力を完璧に習得できないことを意味している[30]。結果として、思春期の始まる12歳ころまでに言語刺激を受けることができない環境下で育った子どもは、会話能力を持つことが不可能になる。さらにこの仮説は、大人が第二言語や外国語を母語と同じレベルで習得することはできないことの説明になるとされている[31]。
臨界期仮説にはその証拠となる実例があり、なんらかの要因により幼少期に言語刺激を受けられなかった子どもは、ネイティブレベルの会話能力を獲得できないことがしばしば論じられている。18世紀の南フランスにおいて発見されたアヴェロンの野生児「ヴィクトール」は、保護時12~13歳だった[32]:4, 112。ヴィクトールは医師のジャン・イタール (仏: Jean Itard) により数年に渡り数多の社会復帰訓練を受けたが、聾者であったことも原因の1つとし、会話能力として習得できた言語表現は lait ([lɛ]、牛乳) と O Dieu! ("Oh God!") のみであった[32]:113-114。
近代では、父親による虐待により外界から隔離された個室に監禁されて育ち、1970年に13歳で救出されたジーニーの事例がある[33]。ジーニーは発見時に言語能力を有しておらず、その後の言語発達過程が研究されたが、ことばの運用 (英: linguistic performance)、認知発達、感情発達の全ての側面において異質な点が観察された。レネバーグは臨界期仮説の提唱と共に、母語獲得に適正期間が存在する可能性を脳の発達メカニズムに関連付けており、ジーニーの生体研究において、臨界期外でことばを習得した場合と同様言語を使用する際に右脳に活動が見られたことが、本仮説を支持する証拠として注目された[33]:234。一方、ジーニーの事例は複雑で様々な論争もあり、ことばの生得性を支持する証拠とはならないという見かたもあれば、臨界期を過ぎた後も母語として言葉を獲得することはある程度可能であるという見かたや[34][35]、長期間に亘り監禁状態にあったことに起因する感情と認知能力の欠乏が、ジーニーの言語能力の成長を阻害した可能性があるという見かたもある[35][36]。
経験主義は1690年に著されたジョン・ロックの『人間知性論』(英: An Essay Concerning Human Understanding) などで採用されており[16]、ノーム・チョムスキーが生得性仮説を提唱した後の近代でも、一部の学者により採用されている理論体系である[52]。経験主義を採用する研究者は、生成文法をはじめとする生得性理論を批判する傾向にあり、明示的に「言語の構造は言語使用により構築される」と唱える者もいるほか、LADのような理論には経験的証拠が存在しないと論じられる場合もある[53]。
Saffran et al. (1996)[59]は実験的研究に基づき「学習とは多くの情報を1つにまとめ上げるという意味で帰納的かつ統計的なプロセスである」と論じており、Bates and Elman (1996)[60]はこれを引用しながら、「生後8か月の乳児は発話を語ごとに分解し簡単な言語統計をとることができる」と論じている。この実験結果は、言語獲得とは統計的な手法に基づく学習プロセスであること、ならびに乳児が文要素の分割やその他の文法機能の判別を可能にする学習メカニズムを有していることを示唆している[61]:264。これは経験主義の考えを支持する経験的証拠となり、結果として生得性仮説に対する反証となる[60]。
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