| 李 雲在 | | |
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名前 |
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カタカナ | イ・ウンジェ |
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ラテン文字 | LEE Woon Jae |
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ハングル | 이운재 |
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基本情報 |
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国籍 | 大韓民国 |
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生年月日 | (1973-04-26) 1973年4月26日(51歳) |
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出身地 | 忠清北道清州市 |
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身長 | 182cm |
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体重 | 80kg |
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利き足 | 右 |
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代表歴2 |
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1994-2010 | 韓国 | 130 (0) | |
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2. 2010年3月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
李 雲在(イ・ウンジェ、이운재、1973年4月26日 - )は、大韓民国出身の元サッカー選手。元同国代表。ポジションはゴールキーパー(GK)。
人物
1999年にKリーグのベストイレブンに選出されるなど活躍し、代表正ゴールキーパーの座を掴んだ。翌年から兵役のために水原三星を離れるが兵役終了と共に復帰し、2002年のワールドカップ日韓大会では韓国代表の4位という好成績に大きく貢献した。自身3度目のW杯となった2006年のドイツ大会ではグループステージ敗退という結果ではあったが存在感を示し、大舞台に強い選手だということを証明した。
PK戦に強いGKとしても有名である。2002年日韓W杯の準々決勝、PK戦までもつれ込んだ対スペイン戦でホアキンのキックを止め、ベスト4進出に大きく貢献。また、2004年のKリーグ・プレーオフ第2戦、対浦項スティーラースでは、かつて代表の定位置を争った金秉址のキックを弾き、リーグ優勝をものにした。2008年にはGKとして初のKリーグ年間MVPを受賞。
2012年シーズン終了後、引退を表明した[1]。
トラブル
2007年7月に開催されたインドネシアでのアジアカップ2007一次リーグの期間中に、韓国代表チームの主将でありながら、チームメートの李東国ら3選手と酒宴に興じていたことが発覚。これを受けて大韓サッカー協会は規律違反を犯した李雲在らに対して、2008年12月までの1年間、韓国代表チームへの招集資格の剥奪及び大韓民国サッカー協会が主催する公式大会への2~3年間の出場を禁止する処分を下した。この結果、李雲在は2008年に予定される2010年FIFAワールドカップのアジア地区予選に出場出来ないこととなった[2]。
所属クラブ
代表歴
個人タイトル
脚注
- ^ Kリーグ:GK李雲在、23年の現役生活に幕 - 朝鮮日報、2012年12月12日(日本語)
- ^ “韓国代表飲酒事件:GK李雲在ら、代表資格1年停止”. 2007年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月12日閲覧。
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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MVP - 得点王 - アシスト王 - 若手選手賞 - ベスト11(GK - DF - MF - FW) |
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1980年代 | - 83: 趙炳得
- 84: 吳連敎
- 85: 金顕泰
- 86: 金顕泰
- 87: 金豊柱
- 88: 吳連敎
- 89: 車相光
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1990年代 | |
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2000年代 | - 00: 申宜孫
- 01: 申宜孫
- 02: 李雲在
- 03: 徐東明
- 04: 李雲在
- 05: 金秉址
- 06: 朴虎珍
- 07: 金秉址
- 08: 李雲在
- 09: 申和容
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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MVP - 得点王 - アシスト王 - 若手選手賞 - ベスト11(GK - DF - MF - FW) |
韓国代表 - 出場大会 |
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韓国代表 - 1992 バルセロナ五輪 サッカー競技 |
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- 1 金奉洙
- 2 ナ・センファ
- 3 イ・ムンソク
- 4 韓正局
- 5 姜喆
- 6 申台龍
- 7 金貴華
- 8 盧廷潤
- 9 郭慶根
- 10 鄭在權
- 11 徐正源
- 12 チョ・ジュンヒュン
- 13 金都根
- 14 鄭光錫
- 15 イ・スンヒョプ
- 16 趙眞浩
- 17 李林生
- 18 李晉行
- 19 申凡喆
- 20 李雲在
- 監督 金三諾
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韓国代表 - FIFAコンフェデレーションズカップ2001 |
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韓国代表 - 2002 CONCACAFゴールドカップ 第4位 |
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韓国代表 - 2002 FIFAワールドカップ 第4位 |
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