木村昌広
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都武蔵村山市 |
生年月日 | (1974-08-16) 1974年8月16日(50歳) |
身長 体重 | 193 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 ドラフト4位 |
初出場 | 1999年8月21日 |
最終出場 | 2002年10月14日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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木村 昌広(きむら まさひろ、1974年8月16日 - )は、東京都武蔵村山市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
小学1年から野球を始め、小学6年の時に遊撃手から投手に転向[1]。中学時代は外野手[1]。
拓大一高から東都大学野球連盟の拓大に進学[1]。大学時代は2部リーグ(3部も経験)であった[1]。卒業後は、日立製作所に入社し、都市対抗野球では2年連続で先発勝利[2]。1998年に開催されたバンコクアジア大会決勝の韓国戦では先発投手を務めた。同年、1998年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから4位指名を受け、入団[1]。
二軍ではまずまずの成績を残すものの一軍では勝ち星を挙げられず、2001年シーズンオフに球団から戦力外通告を受けた。
その後12球団合同トライアウトを受験し、中日ドラゴンズに合格。しかしここでも結果を残せず、結局一軍で1勝も挙げられないまま2003年シーズンオフに再び戦力外通告を受ける。後に12球団合同トライアウトを再び受験するものの獲得する球団はなく、現役を引退。
現役引退後は一般企業に就職。
2020年東京オリンピックの聖火リレーでは東京都内で聖火ランナーを務めた[3]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | オリックス | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 41 | 9.2 | 6 | 1 | 7 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 5 | 3 | 2.79 | 1.34 |
2000 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 16 | 2.1 | 1 | 0 | 7 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 4 | 4 | 15.43 | 3.43 | |
2001 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 57 | 10.2 | 15 | 5 | 13 | 1 | 0 | 11 | 1 | 0 | 8 | 8 | 6.75 | 2.63 | |
2002 | 中日 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 15 | 3.0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 1.33 |
通算:4年 | 18 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 129 | 25.2 | 25 | 6 | 28 | 1 | 3 | 22 | 1 | 0 | 19 | 17 | 5.96 | 2.06 |
記録
- 初登板:1999年8月21日、対西武ライオンズ21回戦(西武ドーム)、8回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初先発:1999年8月28日、対千葉ロッテマリーンズ19回戦(グリーンスタジアム神戸)、4回2失点
- 初奪三振:同上、1回表に堀幸一から
背番号
- 19 (1999年 - 2001年)
- 45 (2002年 - 2003年)
脚注
[脚注の使い方]
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 木村昌広 - NPB.jp 日本野球機構
- 木村昌広 (@kimumasa9804) - Instagram