安順王后
安順王后 | |
---|---|
朝鮮王妃 | |
在位 | 成化4年9月7日 - 成化5年11月29日 (1468年9月22日 - 1470年1月1日) |
別称 | 仁恵明懿昭徽斉淑安順王后(諡号) |
出生 | 正統10年2月4日 (1445年3月12日) |
死去 | 弘治11年12月23日 (1499年2月3日) |
埋葬 | 昌陵 |
配偶者 | 睿宗 |
子女 | 斉安大君 顕粛公主 恵順公主 |
氏族 | 清州韓氏 |
父親 | 韓伯倫 |
母親 | 豊川任氏 |
テンプレートを表示 |
安順王后韓氏(あんじゅんおうこう・かんし/アンスンワンフ ハンシ 1445年3月12日 - 1499年2月3日)は李氏朝鮮第8代王・睿宗の継妃。本貫は清州。
生涯
安順王后は右議政・韓伯倫(朝鮮語版)(1427年-1474年)の娘として生まれ、睿宗が王世子の時、後宮・昭訓として入宮した。1468年、睿宗即位により王妃となるが1年2ヶ月後の1469年、睿宗が薨去、韓氏は王大妃となる[1]。彼女には斉安大君がいたが王位を継ぐには幼く、夫の兄で夭折した懿敬世子の次男・者山君が第9代王・成宗として即位した[2]。 1499年2月3日、薨去。
家族
安順王后は睿宗との間に1男2女を儲けた。
- 父・清川府院君 韓伯倫(朝鮮語版)
- 夫・睿宗
- 顕粛公主(1464年 - 1502年)- 任光載正室
- 斉安大君(1466年 - 1525年)
- 恵順公主(1468年 - 1469年)
出典
- 『王妃たちの朝鮮王朝』 尹 貞蘭 著、金 容権 訳 日本評論社 2010年
脚注
登場作品
先代 貞熹王后 | 朝鮮王妃 在位:1468年 - 1470年 | 次代 恭恵王后 |
先代 貞熹王后 | 朝鮮大妃 在位:1470年 - 1494年 | 次代 貞顕王后 |
先代 貞熹王后 | 朝鮮大王大妃 在位:1494年 - 1499年 | 次代 文定王后 |
- 表示
- 編集
この項目は、朝鮮の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:朝鮮/P:歴史/PJアジア/PJ歴史)。 |
- 表示
- 編集