北原泰二
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県川口市 |
生年月日 | (1971-04-30) 1971年4月30日(53歳) |
身長 体重 | 187 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手、内野手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト6位 |
初出場 | 1992年8月20日 |
最終出場 | 1995年4月16日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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北原 泰二(きたはら たいじ、1971年4月30日 - )は、埼玉県川口市[1]出身の元プロ野球選手(投手・内野手)。
来歴・人物
小学4年の時にリトルリーグに入り野球を始める[1]。川口工業高では、エースとして1989年春の県大会優勝、関東大会では準々決勝で佐野日大の麦倉洋一と延長10回を投げあって惜敗。夏の県大会は準決勝に進むが、川越商に敗退。同年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから6位指名を受け入団[1]。
1992年にオーバースローからサイドスローに転向すると、同年に一軍初登板を果たす[1]。1995年にイースタン・リーグで最優秀救援投手を受賞[1]。同年オフ、桜井伸一との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍する[1]。1996年シーズン途中から内野手に転向する[1]。
1997年限りで現役を引退した[1]。
引退後は、地元の川口市で中華料理店「チャイニーズダイニング龍門」を経営していた。また、「ベースボールスクール深谷」のコーチとして少年野球指導にあたっている[2]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992 | 西武 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 12 | 2.1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 15.43 | 2.14 |
1995 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 16 | 2.2 | 3 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 2 | 6.75 | 2.63 | |
通算:2年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 28 | 5.0 | 5 | 0 | 7 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 8 | 6 | 10.80 | 2.40 |
記録
- 初登板:1992年8月20日、対日本ハムファイターズ18回戦(東京ドーム)、8回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に嶋田信敏から
背番号
- 59 (1990年 - 1995年)
- 42 (1996年 - 1997年)
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b c d e f g h プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、184ページ
- ^ “ベースボールスクール”. 侍バッティングセンター 深谷. 2020年12月22日閲覧。
関連項目
- 埼玉県出身の人物一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 板沢峰生 - 北原の前に西武で背番号59を着けていた選手。現役中の1980年に急死し、北原が入団するまで59は欠番となっていた。
- クラッシュ!正宗 -主人公である彩木正宗の背番号が42だったが、現実の世界で北原が加入して42を着用した際に、句点をつけた「、42」に変更していた。また作中では北原に「背番号を返せ」と詰め寄る場面があった。
外部リンク
- 個人年度別成績 北原泰二 - NPB.jp 日本野球機構
- 北原泰二 (@kitaharataiji) - X(旧Twitter)
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