何令婉

何 令婉(か れいえん、元嘉22年(445年)- 大明5年9月5日[1]461年10月24日))は、南朝宋の前廃帝劉子業の正室(即位前没)。皇后を追封された。本貫廬江郡灊県

経歴

何瑀の娘として生まれた。孝建3年(456年)、皇太子妃としてとついだ。大明5年閏9月戊子(461年10月24日)、東宮徽光殿で死去した。享年は17。は献妃といった。大明8年(464年)、劉子業が即位すると、令婉は献皇后の諡号をもって追封された。

明帝が即位すると、劉子業とともに龍山の北に合葬された。

脚注

  1. ^ 『宋書』巻6, 孝武帝紀 大明五年閏九月戊子条による。

伝記資料

南朝の皇后

文献張皇后* / 武徳郗皇后* / 穆丁太后* / 文宣阮太后* / 簡文簡王皇后* / 張皇后(豫章王) / 王皇后(敬帝) / (後梁)宣静王皇后 / (後梁)張皇后(明帝) / (後梁)蔡皇后(後主)

*:追尊皇后・皇太后