リトアニア・ソビエト社会主義共和国
この項目では、1940年に成立した国家について説明しています。第一次世界大戦後に短期間存在した国家については「リトアニア・ソビエト社会主義共和国 (1918年-1919年)」をご覧ください。 |
- リトアニア・ソビエト社会主義共和国
- Lietuvos Tarybų Socialistinė Respublika (リトアニア語)
Литовская Советская Социалистическая Республика (ロシア語) -
← 1940年 - 1990年 → (国旗) (国章) - 国歌: Tautiška giesmė(リトアニア語)
国民賛歌
(1944年 - 1950年、1988年 - 1990年/1991年)
Lietuvos Tarybų Socialistinės Respublikos himnas(リトアニア語)
リトアニア・ソビエト社会主義共和国国歌(1950年 - 1988年)
リトアニア・ソビエト社会主義共和国の位置-
公用語 ロシア語(公式)
リトアニア語(事実上)首都 ヴィリニュス - リトアニア共産党中央委員会第一書記
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1940年7月21日 - 1941年6月24日 アンタナス・スニエチクス(英語版) 1988年10月19日 - 1990年3月11日 アルギルダス・ブラザウスカス
- 最高会議幹部会議長
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1940年8月25日 - 1967年4月14日 ユスタス・パレツキス(リトアニア語版) 1990年1月15日 - 1990年3月11日 アルギルダス・ブラザウスカス - 首相[注釈 1]
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1940年8月25日 - 1956年1月16日 メチスロヴァス・ゲドヴィラス 1985年11月18日 - 1990年[ 3月17日 ヴィータウタス・サカラウスカス(英語版) - 面積
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65,200km² - 人口
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1989年 3,689,779人 - 変遷
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成立 1940年7月21日 ソ連へ編入 1940年8月3日 ナチスによる占領 1941年 ソ連へ再編入 1944年 独立回復宣言 1990年3月11日 独立承認 1991年9月6日
通貨 ソビエト連邦ルーブル
(リトアニア語: rublis)時間帯 UTC +3 現在 リトアニア
リトアニアの歴史 | |
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リトアニア大公国 | |
ポーランド・リトアニア共和国 | |
ロシア帝国 | |
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リトアニア王国 (1918年) | |
リトアニア・ソビエト社会主義共和国 (1918年-1919年) | |
リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国 (1919年) | |
リトアニア共和国 (1918年-1940年) | |
リトアニア・ソビエト社会主義共和国 (1940年-1990年) | |
リトアニア共和国 (現代) | |
リトアニア ポータル
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リトアニア・ソビエト社会主義共和国(リトアニア・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、リトアニア語: Lietuvos Tarybų Socialistinė Respublika、ロシア語: Литовская Советская Социалистическая Республика)は、ソビエト連邦構成共和国の一つである。
歴史
体制転換からソ連編入まで
1940年6月14日、リトアニアはソ連から「友好的」政権の樹立を求める最後通牒を突きつけられる[1]。アンタナス・スメトナ大統領はこれに抵抗する意思を示したものの、閣僚や軍司令官は抵抗を支持せず、結果リトアニア政府は最後通牒を受諾することを決定した[1]。なおエストニアやラトヴィアも2日後の6月16日にソ連から最後通牒を突きつけられ、これを受諾している[1]。最後通牒の受諾により赤軍が即日リトアニアに侵入し、重要拠点を占拠した[2]。6月17日にはユスタス・パレツキス(リトアニア語版)やヴィンツァス・クレヴェ=ミツケヴィチュス(リトアニア語版)を中心とする人民政府が発足した[2]。また、ソ連による軍事占領は6月21日に完了している[3]。
7月14日から15日にかけて人民議会議員選挙(英語版)が実施された[4]。共産党が公認候補者名簿を「リトアニア労働人民同盟」の名の下に作成し、その名簿以外から立候補しようとした者の名前はすべて投票用紙から削除された[5]。そのため、この選挙では投票用紙に記載された候補者名は1つだけであった[5]。有権者の95%が投票に参加し、投票者の99.19%が「リトアニア労働人民同盟」の候補者に投票したとされるが、この選挙結果は不正であったと指摘される[4]。7月21日、人民議会(リトアニア語版)が初めて招集され、同日、人民議会はリトアニアが「ソヴィエト社会主義共和国」であると宣言した[6]。翌日には人民議会が土地国有化宣言を採択し、国内の土地はすべて国有地とされた[6]。また、銀行や大企業も国有化された[7]。その後人民議会は代表団20人(団長:ユスタス・パレツキス)を選出[6]。8月3日にモスクワを訪問した代表団はソ連への加盟を申請した[6]。ソヴィエト連邦最高会議がこの加盟申請を承認したことで、リトアニアはソ連の構成共和国となった[2]。このように、形式上はリトアニアが「自発的に」ソ連への加盟を申請するという形がとられたが、現在のリトアニアでは、リトアニア人の意志に反して行われた「併合」であったと考えられている[2]。
- カウナスにおける人民議会議員選挙の様子
ナチによる占領とソ連による再占領
1941年6月22日に独ソ戦が勃発すると、リトアニアはナチス・ドイツの占領下に置かれる(1944年まで)。第二次世界大戦末期の1944年にソビエト連邦軍によってリトアニア全土が再占領される。
独立回復へ
1980年代末になると、バルト諸国で歌う革命と呼ばれる独立運動が展開した。1990年3月11日、リトアニアが最初に独立回復宣言を発表した。1991年、ソ連8月クーデターの失敗に伴い、9月6日に独立を正式に承認された。
脚注
注釈
- ^ 人民委員会議議長(1940年 - 1946年)、閣僚会議議長(1946年 - 1990年)
出典
- ^ a b c カセカンプ 2014, p. 210.
- ^ a b c d 重松 2020, p. 110.
- ^ カセカンプ 2014, p. 211.
- ^ a b エイディンタスほか 2018, p. 307.
- ^ a b カセカンプ 2014, p. 213.
- ^ a b c d エイディンタスほか 2018, p. 308.
- ^ カセカンプ 2014, p. 214.
参考文献
- エイディンタス, アルフォンサス、アルフレダス・ブンブラウスカス、アンタナス・クラカウスカス、ミンダウガス・タモシャイティス 著、梶さやか、重松尚 訳『リトアニアの歴史』明石書店、2018年。ISBN 9784750346434。
- カセカンプ, アンドレス 著、小森宏美、重松尚 訳『バルト三国の歴史——エストニア・ラトヴィア・リトアニア 石器時代から現代まで』明石書店、2014年。ISBN 9784750339870。
- 重松尚 著「独立の喪失——モロトフ=リッベントロップ条約と第二次世界大戦」、櫻井映子 編『リトアニアを知るための60章』明石書店、2020年。ISBN 9784750348315。
関連項目
外部リンク
- 1978年リトアニア共和国憲法
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