マイク・ムーア
この項目では、ニュージーランドの政治家について説明しています。その他の用法については「マイケル・ムーア (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
マイク・ムーア Mike Moore | |
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生年月日 | (1949-01-28) 1949年1月28日 |
出生地 | ニュージーランド、ワカタネ |
没年月日 | (2020-02-02) 2020年2月2日(71歳没) |
死没地 | ニュージーランド、オークランド |
所属政党 | ニュージーランド労働党 |
第34代 ニュージーランド首相 | |
在任期間 | 1990年9月4日 - 1990年11月2日 |
第10代 ニュージーランド労働党党首 | |
在任期間 | 1990年 - 1993年 |
第6代 GATT/WTO事務局長 | |
在任期間 | 1999年 - 2002年 |
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マイク・ムーア(Michael Kenneth "Mike" Moore、ONZ、1949年1月28日 - 2020年2月2日)は、ニュージーランドの政治家。第34代首相。元世界貿易機関事務局長(1999年 - 2002年)。
来歴
ワカタネ生まれ、カワカワ育ち。17歳でオークランドの貿易組合員となる。ニュージーランド労働党に入党し、1972年の国政選挙に初当選し最年少記録(当時23歳)を樹立する。1978年にクライストチャーチへ移り、クライストチャーチの選挙区内を移動するも1999年まで議席を保持する。貿易分野に精通し、貿易交渉に手腕を発揮した。1990年9月に労働党党首に就任し、同時にジェフリ・パルマーの後任として第34代首相に就任するも、1990年10月の総選挙で敗北し、在任期間はわずか2か月であった。労働党党首は、1993年まで務める。1999年に世界貿易機関事務局長に就任し、国会議員を引退する。2002年まで世界貿易機関事務局長を務めた。
2003年に中国人民大学より名誉博士号が授与された。
2010年8月、駐米大使に就任する。
2014年に滞在先のワシントンD.C.で心臓弁膜症の手術を受け、2015年に軽度の脳梗塞を発症する。駐米大使職は2015年後半に退任した。
2020年2月2日、オークランドの自宅にて71歳で死去[1]。
脚注
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カテゴリ |
世界貿易機関(WTO)と関税及び貿易に関する一般協定(GATT) | |
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条約 | 世界貿易機関を設立するマラケシュ協定 |
ラウンド | |
事務局長 | GATT:エリック・ウィンダム・ホワイト - オリビエ・ロング - アーサー・ダンケル - ピーター・サザーランド |
用語 | ウェーバー条項 - 授権条項 - 協定税率 - 内国民待遇 - 最恵国待遇 - グローバリゼーション - 反グローバリゼーション |