ホノリウス2世 |
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第19代 ローマ対立教皇 |
教皇就任 | 1061年10月28日 |
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教皇離任 | 1064年 |
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先代 | ベネディクトゥス10世 |
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次代 | クレメンス3世 |
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個人情報 |
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死去 | 1071年
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その他のホノリウス (曖昧さ回避) |
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ホノリウス2世(? - 1071年)は、ローマ教皇であるアレクサンデル2世の対立教皇である(在位:1061年10月28日 - 1064年)。
生涯
教皇のニコラウス2世はイタリアの領有権をめぐって神聖ローマ帝国と対立し、1061年7月に死去した。次の教皇であるアレクサンデル2世は9月に即位したが、神聖ローマ皇帝であるハインリヒ4世の生母で摂政のアグネスはこれに反対し、10月28日にバーゼルで擁立されたのが、このホノリウス2世であった。
しかしロレーヌ公のゴドフロワ3世の反対と妨害を受けてローマに入ることはできず、ハインリヒ4世の摂政もアグネスからケルン大司教であるアンノ2世になるとホノリウス2世は見捨てられてしまう。結局、1064年にマントヴァで行なわれた司教会議で退位を余儀なくされた。
しかし1071年に死去するまで、自らが正当な教皇であると必死に訴えたという。
参考文献
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古代 | - ヒッポリュトス217-235(教皇 カリストゥス1世)
- ノウァティアヌス251-258(教皇 コルネリウス)
- フェリクス2世355-365(教皇 リベリウス)
- ウルシヌス366-367(教皇 ダマスス1世)
- エウラリウス418-419(教皇 ボニファティウス1世)
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中世 | - ラウレンティウス498-499、501-506(教皇 シンマクス)
- ディオスクルス530(教皇 ボニファティウス2世)
- テオドルス687(教皇 セルギウス1世)
- パスカリス687(教皇 セルギウス1世)
- コンスタンティヌス2世767-768(教皇 ステファヌス3世)
- フィリップス768(教皇 ステファヌス3世)
- ヨハネス8世844(教皇 セルギウス2世)
- アナスタシウス3世ビブリオテカリウス855(教皇 ベネディクトゥス3世)
- クリストフォルス903-904(教皇 レオ5世)
- ボニファティウス7世974、984-985(教皇 ベネディクトゥス7世)
- ヨハネス16世997-998(教皇 グレゴリウス5世)
- グレゴリウス6世1012(教皇 ベネディクトゥス8世)
- ベネディクトゥス10世1058-1059(教皇 ニコラウス2世)
- ホノリウス2世1061-1064(教皇 アレクサンデル2世)
- クレメンス3世1080、1084-1100(教皇 グレゴリウス7世)
- テオドリクス1100-1101(教皇 パスカリス2世)
- アルベルトゥス1101(教皇 パスカリス2世)
- シルウェステル4世1105-1111(教皇 パスカリス2世)
- グレゴリウス8世1012(教皇 ゲラシウス2世)
- ケレスティヌス2世1124(教皇 ホノリウス2世)
- アナクレトゥス2世1130-1138(教皇 インノケンティウス2世)
- ウィクトル4世(先代)1138(教皇 インノケンティウス2世)
- ウィクトル4世(後代)1159-1164(教皇 アレクサンデル3世)
- パスカリス3世1164-1168(教皇 アレクサンデル3世)
- カリストゥス3世1168-1178(教皇 アレクサンデル3世)
- インノケンティウス3世1179-1180(教皇 アレクサンデル3世)
- ニコラウス5世1326-1330(教皇 ヨハネス22世)
- クレメンス7世1378-1394(教皇 ウルバヌス6世)
- ベネディクトゥス13世1394-1423(教皇 ボニファティウス9世)
- アレクサンデル5世1409-1410(教皇 グレゴリウス12世)
- ヨハネス23世1410-1415(教皇 グレゴリウス12世)
- クレメンス8世1423-1429(教皇 マルティヌス5世)
- ベネディクトゥス14世(先代)1424-1429(教皇 マルティヌス5世)
- ベネディクトゥス14世(後代)1430-1437(教皇 マルティヌス5世)
- フェリクス5世1439-1449(教皇 エウゲニウス4世)
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