フリッツ・メルビュー

フリッツ・メルビュー
Fritz Melbye
カミーユ・ピサロによる肖像画(1852-1854頃)
生誕 1825年11月30日
デンマーク、コペンハーゲン
死没 1910年11月15日
デンマーク、コペンハーゲン
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フリッツ・メルビュー(Fritz Sigfred Georg Melbye、1826年8月24日 - 1869年12月14日)はデンマークの画家である。世界各地を旅して、各地の沿岸や港の風景を描いた。若い頃には当時、デンマーク領であったカリブ海の島に住み、それらの島やヨーロッパの街の風景画も残した。

略歴

デンマーク、シェラン島のヘルシンゲルに生まれた。役人の息子で、兄に海洋画家として有名であったアントン・メルビュー(1818-1875)がいる。兄から絵画を学んだ。1849年にデンマーク領西インド諸島(現在のヴァージン諸島の一部)に移り、セント・トーマス島に住んだ[1]。この島で、後に有名な画家になるカミーユ・ピサロ(1830-1903)と1850年に出会い、ピサロは画家を志すことになり、メルビューは友人であり絵の教師となった[2]セント・クロイ島などで過ごした後、1852年にベネズエラに移住したとき、ピサロも同行し、カラカスや、港町ラ・グアイラで過ごした。ピサロは2年ほどでセント・トーマス島に戻り、その後、パリに移るが、メルビューは1956年までベネズエラに留まり、ヨーロッパにしばらく滞在した後、アメリカに渡り、ニューヨークにスタジオを作った[3]

カリブ海やカナダのニューファンドランド島などを旅して製作を続けた。ニューヨークで親しくなった、風景画家のフレデリック・エドウィン・チャーチ(1826-1900)としばしば一緒に旅した。1866年からは極東に旅し、北京を拠点に日本を含む各地を訪れた。3年後に43歳で上海で没した。

作品

  • デンマーク領西インド諸島の風景, c.1850
    デンマーク領西インド諸島の風景, c.1850
  • セント・ジョン島の風景 c.1850
    セント・ジョン島の風景 c.1850
  • セント・トーマス島の波止場, 1852
    セント・トーマス島の波止場, 1852
  • 嵐の中の船舶, 1867
    嵐の中の船舶, 1867
  • 香港の港の風景
    香港の港の風景
  • 「早朝の富士山の見える港からの出航」, 1869
    「早朝の富士山の見える港からの出航」, 1869

参考文献

  1. ^ “Fritz Melbye”. Gyldendal. 2010年10月5日閲覧。
  2. ^ “Exhibition”. St. Thomas Synagogue. 2007年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月5日閲覧。
  3. ^ “Fritz Melbye - biografi”. Kunstindeks Danmark. 2010年10月5日閲覧。

外部リンク

  • フリッツ・メルビュー - Kunstindeks Danmark/Weilbachs Kunstnerleksikon
  • ウィキメディア・コモンズには、フリッツ・メルビューに関するカテゴリがあります。
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