デニス・マツーエフ
デニス・レオニードヴィチ・マツーエフ | |
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基本情報 | |
生誕 | (1975-06-11) 1975年6月11日 ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、イルクーツク |
出身地 | ロシア |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
公式サイト | 公式サイト |
デニス・マツーエフ(ロシア語: Денис Леонидович Мацуев, ラテン文字転写: Denis Matsuev, 1975年6月11日 - )はロシアのピアニスト。
経歴
ロシア連邦シベリア地方に位置するバイカル湖沿岸の都市イルクーツクの音楽一家に生まれる[1]。4歳でピアノを始め、たちまち才能を現す。音楽教育はイルクーツクの芸術学校に始まり、その後モスクワ音楽院のセメンツォワの下、イルクーツク音楽学校に学ぶ。1984年、9歳の時にハイドンのピアノ協奏曲でデビュー。
1991年、モスクワ音楽院付属中央音楽学校の9年生に転入し、ピャセツキーのクラスで学ぶ。積極的なコンサート活動と学業を両立させながら、ロシア各都市、諸外国で演奏。音楽学校在学中に南アフリカ共和国のローデンポート国際音楽コンクールでグランプリを獲得。
1994年、モスクワ音楽院に入学し、アレクセイ・ナセドキン、セルゲイ・ドレンスキーに師事。ドレンスキーは「完璧な技術と表現力は目覚しく、とても聡明で、才能に恵まれた生徒」とマツーエフを評している。マツーエフの名は、当時のエリツィン大統領によりゴールデンブック「New Names」に加えられ、40ヵ国以上で演奏活動を行い成功を収める。
浜松国際ピアノコンクールの第3次予選で全審査員の同意が得られず落とされてしまったが、1998年に第11回チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で優勝。以後、世界各地でリサイタルを開き、また著名な指揮者や主要オーケストラとの競演を重ねている。音楽祭や芸術祭への参加も多い。現在は年間120回以上のコンサートに出演している。
マツーエフはロシア連邦によるクリミア併合を支持した[2]と伝えられた。
主なレパートリー
レパートリーは広範囲にわたるが、リスト、シューマン、ショパンといったロマン派音楽の評価が高い。ジャズにも興味を持っており、彼自身の作曲したジャズ作品やよく知られたジャズ作品の独自の即興演奏がコンサートのプログラムに組まれている。
脚注
外部リンク
- デニス・マツーエフ公式サイト(ロシア語・英語)