イェルパハ
イェルパハ Yerupajá | |
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標高 | 6,635 m |
所在地 | ペルー(アンカシュ県、ワヌコ県、リマ県県境) |
位置 | 南緯10度16分08秒 西経76度54分19秒 / 南緯10.26889度 西経76.90528度 / -10.26889; -76.90528座標: 南緯10度16分08秒 西経76度54分19秒 / 南緯10.26889度 西経76.90528度 / -10.26889; -76.90528 |
山系 | アンデス山脈、ワイワッシュ山群(英語版) |
初登頂 | デービッド・ハラー、ジェームズ・マクスウェル(1950年) |
イェルパハ イェルパハ (ペルー) | |
プロジェクト 山 | |
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イェルパハ(Yerupajá)は、アンデス山脈の一部であるペルー中西部のワイワッシュ山群(英語版)に属する山である。標高6,635m。山名の「イェルパハ」はケチュア語で「白い夜明け」を意味している[1]。
地理
イェルパハが属するワイワッシュ山群は、ペルーの最高峰であるワスカランが属するブランカ山群(英語版)の南方に位置している。ペルーではワスカランに次いで2番目に高い山で、ワイワッシュ山群の中では最も標高が高い主峰である。また、アマゾン川水系における最高地点ともなっている[2]。行政上はアンカシュ県、ワヌコ県、リマ県の3県に跨る。
登頂
アンデス山脈の高峰の中でも最も登頂が困難な山の1つであるため、登頂に成功した人数は僅かである。ノーマルルートは南西壁ルートで、通常はワラスから南へ向かい、チキアン(英語版)よりハワコチャ湖を経由してアプローチする[2]。初登頂は1950年にデービッド・ハラーとジェームズ・マクスウェルによって成し遂げられ[3]、北側のピーク(イェルパハ・ノルテ)は1968年にグレイム・ディングル(英語版)とロジャー・ベイツによって達成された。
登山史
- 1950年、南西壁ルートでデービッド・ハラーとジェームズ・マクスウェルが初登頂。
- 1966年、西壁直登ルートでリーフ・パターソンとホルヘ・ペテレクによる第二登。当該ルートによる初登頂[3]。
- 1968年、北東壁ルートでクリス・ジョーンズとポール・ディクスが初登頂[4]。
- 1969年、ラインホルト・メスナーとピーター・ハーベラー(英語版)による東壁登攀(登頂は標高6,121mのイェルパハ・チコ)[5]。
- イェルパハの南壁
- イェルパハの遠景
関連項目
- シウラ・グランデ(英語版) 同じワイワッシュ山群の山での遭難事故が「運命を分けたザイル」(原題: Touching the Void)の邦題で映画化された。
脚注
- ^ NEVADO YERUPAJÁ ANDES HANDBOOK, 2019年9月4日閲覧。
- ^ a b Yerupajá Summitpost.org, 2019年9月4日閲覧。
- ^ a b Graber, Michael (December 1995). “Yerupaja - The West Face Direct”. Climbing (93): 30. ISSN 0045-7159.
- ^ Jones, Chris (1969). Carter, H. Adams. ed. “Yerupaja - The Amazon Face”. American Alpine Journal (Philadelphia, PA, US: American Alpine Club) 16 (43): 271–274.
- ^ Reinhold Messner: Aufbruch ins Abenteuer. Der berühmteste Alpinist der Welt erzählt. Bergisch Gladbach 1979, S. 122–133.