アマート・ロンコーニ
聖アマート・ロンコーニ Sant'Amato Ronconi | |
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19世紀の画家フランチェスコ・ポデスティによって描かれたアマート・ロンコーニ | |
生誕 | 1225年 イタリア・サルデーチョ |
死没 | 1292年5月8日 イタリア・リミニ |
崇敬する教派 | カトリック教会 |
列福日 | 1776年4月17日 |
列福決定者 | 教皇ピウス6世 |
列聖日 | 2014年11月23日 |
列聖場所 | 聖パウロ大聖堂, バチカン |
列聖決定者 | 教皇フランシスコ |
記念日 | 5月8日 |
守護対象 | サルデーチョ |
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聖 アマート・ロンコーニ(イタリア語: Amato Ronconi、1225年頃 - 1292年5月8日)は、13世紀イタリアの慈善家で、フランシスコ会在俗会員。リミニにほど近いサルデーチョで生まれ、リミニに死去した。
1776年に教皇ピウス6世によって列福され、2014年11月23日に教皇フランシスコによって列聖された[1]。
生涯
聖アマートは1225年頃 イタリアのサルデーチョ(現代ではエミリア=ロマーニャ州リミニ県に属する)の裕福な家に生まれた。しかし非常に幼い時期に孤児になり、彼の兄の家で育てられた。
福音に従って生きるように神に呼ばれたように感じたが、彼は結婚しなくてはならない立場だったので、修道院には入らず、フランシスコ会在俗会の会員となった。その後、彼は一人になれる場所を探し、そこに逃げて、多くの人に非難されながらも隠者として生き始めた。
ある日、聖アマートの隠遁小屋が不可思議な光で光り輝き、天の歌声のようなものが聞こえてきた。その後彼は隠遁生活を止め、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラや、著名な聖堂などへの巡礼の旅に出た。そして、貧しい人やけが人の世話をするようになり、リミニの近くにあるオルチャリ山 (Orciale) に病院をつくり、彼は看護師として生涯を送った。
彼が死去したのは1292年5月8日である[1] [2]。
脚注
- ^ a b Saint Amatus Ronconi, Catholicsaints Info. (英語)
- ^ Blessed Amatus Ronconi - Roman Catholic Saint (英語)
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