アマニ・ディオリ

アマニ・ディオリ
Hamani Diori

アマニ・ディオリ(1968年撮影)

任期 1960年11月10日1974年4月15日

ニジェールの旗 ニジェール共和国
第1・3代 外務大臣(英語版)
任期 1960年11月10日1963年
1965年1967年
大統領 アマニ・ディオリ(兼務)

任期 1960年8月3日1960年11月10日

任期 1958年12月18日1960年8月3日

フランスの旗 フランス共和国
国民議会議員
任期 1946年11月28日1951年7月3日
1956年1月19日1959年7月15日
1965年9月30日1967年4月14日

出生 1916年6月6日
フランスの旗 ニジェール植民地 スドゥレ(英語版)
死去 (1989-04-23) 1989年4月23日(72歳没)
モロッコの旗 モロッコ ラバト
政党 民主社会主義抵抗連合(英語版)
ニジェール進歩党(英語版)
受賞
配偶者 アイシャトゥ・ディオリ(英語版)
(1945年 - 1974年)
子女 アブドゥライエ・アマリ・ディオリ(英語版)
(1945年 - 2011年)
親族 ジボ・バカリ(従弟)
宗教 イスラム教

アマニ・ディオリフランス語: Hamani Diori, 1916年6月6日 - 1989年4月23日)は、ニジェール政治家。ジェルマ人。ニジェール共和国初代大統領(在任: 1960年11月10日 - 1974年4月15日)。

人物

1916年、当時のフランス領ニジェール植民地の首都ニアメ近郊の村で生まれる。セネガルダカールにある教員養成校で学び、ニジェールで教鞭をとった後、パリへと渡った。1946年、ニアメで校長を務めていたとき、ニジェール進歩党(Parti progressiste nigérien、PPN)を結成し、党首に就任。アフリカ民主連合に加盟し、そのニジェール支部として親仏的な政策を掲げ、従兄弟である社会主義者ジボ・バカリのニジェール民主同盟と対立した。

1958年フランス第五共和政が成立し、ニジェールに自治政府が誕生すると、ディオリは自治政府首相に就任し、1959年にはバカリを亡命させた。

1960年、ニジェール独立とともにディオリは初代大統領に就任した。ディオリはセネガルのサンゴールらとともにフランコフォニー国際機関の設立に尽力するなど、親仏的立場を取りながら外交で成果を挙げたが、国内ではPPNの一党支配を敷いてバカリのサワバ党など他党派を弾圧し、また経済面でも経済運営に失敗し、国民の不満は募っていった[要出典]

1974年にはサヘル地帯で大旱魃が置き、国内の家畜の60%にあたる約100万頭の家畜が失われ、また2年間皆無作が続いたため、ニジェール経済は疲弊した。さらに救援物資の横流しや対策の失敗が問題となり、1974年4月15日セイニ・クンチェ国軍総参謀長がクーデターを起こし、ディオリ政権は崩壊した。ディオリは6年間投獄され、1980年に出所した後も1987年まで自宅軟禁におかれた[要出典]

自宅軟禁が解かれた後、ディオリはモロッコに移住し[要出典]、1989年4月23日にラバトで息を引き取った。

関連項目

公職
先代
(創設)
ニジェールの旗 ニジェール共和国大統領
初代:1960年 - 1974年
次代
セイニ・クンチェ
先代
Adamou Mayaki (en)
(創設)
ニジェールの旗 ニジェール共和国外相
第3代:1965 - 1967年
初代:1960年 - 1963年
次代
Abdou Sidikou (en)
Adamou Mayaki (en)
先代
(創設)
ニジェールの旗 ニジェール自治政府首相
初代:1958年 - 1960年
次代
(廃止)
大統領
軍事政権
大統領選挙
  • 1965年(英語版)
  • 1970年(英語版)
  • 1989年(英語版)
  • 1993年(英語版)
  • 1996年(英語版)
  • 1999年(英語版)
  • 2004年
  • 2011年(英語版)
  • 2016年(英語版)
  • 2020年(英語版)
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